自転車系れとろ看板


「川村の自転車」 撮影地:広島県 今は車椅子メーカーに転業 カワムラサイクルさんのページへ
大臣賞受領に輝く「機関銃印自轉車」日本スヰフト 提供:しゅうさん 撮影地:鹿児島県
マークの中に「世界我市場」のお言葉。ローヤルプリンス号というバイクも作っていた模様。
「クラブ号自轉車」特約販賣店 撮影地:愛媛県(展示品) クラブコスメチックスさんのページへ
化粧品メーカーの中山太陽堂(現・クラブコスメチックス)さんがかつて製造販売していた自転車です。
「セキネの自轉車」(6枚組み) 撮影地:福島県 東京都荒川区三河島町にあった関根自転車工場さんの製品。
「セキネの自轉車」(7枚組み) 撮影地:岩手県 昭和33(1958)年の業界シェア7位(2.7%)[1]
軽くて丈夫な「ノーリツ号」 撮影地:秋田県(展示品)
「ノーリツ号」(別バージョン) 撮影地:秋田県(展示品)
名古屋の岡本自転車工業さんが作っていた自転車のようです。
自転車は「ホークス号」 製造元 南海自転車株式会社 提供:木村義治さん 撮影地:大阪府
南海自転車さんは大阪市粉浜西之町(現在の住之江区粉浜西)にあったメーカーさんのようです。
「マグネット号」 提供:星野信夫さん 撮影地:石川県
「マルキンの自転車」代理店 撮影地:茨城県
「マルキンの自転車」(黄バージョン) 提供:水谷覚さん 撮影地:三重県
「マルキンの自転車」(赤バージョン) 撮影地:山形県
「マルキンの自転車」(縦型バージョン) 撮影地:北海道
丸金自転車工業さんのブランドだったようです。昭和33(1958)年の業界シェアは10位(2.1%)[1]。現在はホダカ株式会社さんがブランドを継承されています。
マルキン自転車さんのページへ ホダカさんのページへ
「水谷の自転車」 撮影地:秋田県(展示品) ミズタニ自転車さんのページへ

「安全の自転車」 撮影地:富山県(展示品) 東京の安全自転車さんの看板と考えられます。

マルエイ号「英隆の自轉車」 提供:佐藤智仁さん 撮影地:秋田県 こちらも東京の会社・英隆自転車さんの製品だった模様。


「片倉のシルク号」 提供:星野信夫さん 撮影地:長野県 「シルク号自転車」 撮影地:山形県
片倉工業さんは明治6(1873)年創業。蚕糸で有名な企業です。このシルク号は、片倉工業さんの子会社「片倉自転車工業」さんのブランドだったようです。昭和29(1954)年創業で、本社工場は東京都福生市にありました。 片倉工業さんのページへ

東京製「カワスミの自転車」特約店 撮影地:秋田県(展示品) 東京製をアピールする川澄製作所さんの製品。

日本一「光風自轉車」 撮影地:北海道
「自」が欠落しており残念。マークは別の色の看板ですが同社のマークです。東京の会社でケンコー号という自転車を作っていました。

「自転車はサン号」 撮影地:広島県
「サン号自転車」 撮影地:北海道
「サン号自転車」 提供:星野信夫さん 撮影地:愛媛県 「サン号」は東京にあった秀工舎さんのブランドだった模様です。

「ツノダの自転車」 撮影地:秋田県
大正15(1926)年創業、ツノダさんの自転車です。昭和33(1958)年の業界シェアは8位(2.2%)[1]。「テーユー号」というブランドが有名でした。

「ツバメ自転車」 撮影地:北海道 新家工業さんのページへ
新家工業株式會社特製「ツバメ号自転車」 撮影地:兵庫県
明治36(1903)年、石川県山中町で創業したリムのメーカー。完成自転車ツバメ号は昭和21(1946)年発売。
「中日本重工の自転車」代理店 撮影地:岩手県 三菱重工業さんのページへ
中日本重工とは現・三菱重工業の一部です。三菱重工業は戦後の昭和25(1950)年に西日本重工業・中日本重工業・東日本重工業の3社に解体されました。そのうちの1社、中日本重工業は昭和27(1952)年に新三菱重工業と改称。その後、昭和39(1964)には3社が合併し、現在の三菱重工業となっています。したがって、この看板は昭和25(1950)年から昭和27(1952)年の間に作られたものでしょう。

「日進の自転車」 撮影地:北海道 東京・神田末広町にあった会社か。

「阪神の自転車」 撮影地:京都府 神戸市兵庫区下沢通の阪神自転車工業さんの製品だった模様。

「富士自轉車」 撮影地:(左)秋田県(展示品)、(右)北海道 Fuji Advanced Sportsさんのページへ
「富士覇王号」 撮影地:北海道 「富士宣傅号」 撮影地:秋田県(展示品)
日米商店は明治32(1899)年創業。富士覇王号は昭和初期のブランドです。戦時中に大日本自転車と改称。戦後は日米富士自転車となりました。昭和33(1958)年の業界シェアは5位(2.9%)[1]。平成8(1996)年に食品会社の東食さんに吸収されましたが翌年倒産。もともと海外で人気が高かったFujiブランドの自転車はアメリカのFuji Advanced Sports社に引き継がれました。
「丸石の自転車」(6枚組バージョン) 撮影地:北海道
「丸石の自転車」(2枚組バージョン) 撮影地:福岡県
「丸石の車」 提供:星野信夫さん 撮影地:長野県
「丸石の自転車」(縦型バージョン) 撮影地:静岡県 丸石サイクルさんのページへ
丸石自転車さんは明治27(1894)年創業。昭和33(1958)年「丸石商会」の業界シェアは2位(5.2%)でした[1]。平成18(2006)年、中国資本の傘下に入った福島丸石自転車工業に事業が譲渡され現在の丸石サイクルとなっています。
最古の歴史と最新の技術「宮田の自轉車」 撮影地:愛知県(展示品)
「宮田の自轉車」 撮影地:秋田県(展示品)
宮田製自轉車「ギヤエム號」代理店 撮影地:青森県(展示品) ミヤタサイクルさんのページへ
東京(京橋区木挽町)の鉄砲鍛冶「宮田製銃所」から発展した日本最古の自転車メーカーです。明治26(1893)年に国産第一号の自転車を発売。昭和33(1958)年「宮田製作所」の業界シェアは3位(4.6%)でした[1]。以後近年まで自転車と消火器のメーカー「宮田工業」として継続していましたが、現在は消火器部門が合併によりモリタ宮田工業となっています。自転車部門は平成31(2019)年、台湾のメリダ社に譲渡されブランドは継続されています。

日帝の「メヤム」 撮影地:熊本県 「メヤム自転車」はかつて名古屋市中川区清船町にあった日帝工業さんの製品。

「リーフ自轉車」販賣店 撮影地:秋田県(展示品)
イギリス・コヴェントリーにあったレア・フランシス社の製品でした。日本に輸入されていたのですね。同社は後にスポーツカーのメーカーとなっています。

山口自轉車販売株式会社「イージーペイメント」(分割払)取扱店 撮影地:北海道
家電などでも見受けられますが、今ほど一般的ではなかった分割払いでの販売を独特なネーミングで広告する看板です。山口自転車さんは大正3(1914)年東京で創業。昭和33(1958)年の業界シェアは堂々第1位(9.4%)のトップメーカーでした[1]。戦後は他社同様オートバイにも進出。過当競争の結果、昭和38(1963)年に倒産。以後、丸紅の傘下に入り「山口ベニー号」などを製造販売。昭和57(1982)年には丸紅が撤退しセキネの傘下に入り、その後「三和自転車工業」となりましたが、現在までに倒産してしまったようです。


参考文献
[1] 公正取引委員会事務局「主要産業における生産集中度 昭和33年度」 (1960) 
「れとろ看板写真館」本館に戻る 2023年1月19日(「山口イージーペイメント」追加)